火垂るの墓を見て思ったことのまとめです。
誰も悪くない、お金持ちの子が世渡りに失敗する話だと思いました。
働きに出ない清太
焼け出された清太は、節子をつれて親戚の絵に居候します。
その家のおばさんは、清太に対して「一日中ブラブラしている」と叱ります。
実際、他の家族は工場にいったり、国のために働いていました。
現在では子供は働いてはいけないものですが、当時はそれが普通でした。
清太が働かない理由は明言されていません(このことは後で考察します)。
ですが、節子の世話があるということは、理由にならないでしょう。
おばさんは家にいるので見てもらうことができます。
オルガンで遊ぶ清太
ある日、清太は昼間から節子とオルガンを弾き、またおばさんに怒られます。
みんなが大変な時にオルガンで遊んでたら怒られるということですが、個人的にこれは正論だと思います。
自粛ムードは賛否両論あるものですが、災害時に他県まで自粛するのと、戦時の現地でオルガンを弾くのは同列には語れないでしょう。
避難所で酒盛りを始めたら心証は非情に悪いと思います。
隣組に入らない清太
おばさんの嫌味に耐えかねて、清太は親戚の家を出ます。
ここで、農家のおじいさんは隣組に入るべきだと教えてくれます。
隣組に入らないと配給がもらえません。
親の貯金があるとはいえ、自分で食べていく手段のない清太が隣組に入らない選択肢はないでしょう。
皆が皆むごたらしく死んだわけではない
さて、ここまで清太の行動について書いてきましたが、次はラストシーンの演出について書きます。
戦争が終わった後、蓄音機にのせて兄妹の住処を映す演出があります。
別に日本全体が兄妹のような悲惨なことになっていたわけではなく、普通に戦火を逃れて家に帰れた人もいたのに、少し間違えただけでそれができなかったことの見事な対比です。
しかも海軍の息子なのに、です。
なのにというより、それが原因だと私は思いますが(後述)
全ての原因は清太の感覚のズレ
清太節子兄妹が死んだのは、清太が世間知らずだったからです。
誰々が悪いとかいうのではなく、いいところに生まれてしまったから、ああなったのです。
働かなかったのも、オルガンを弾く行為に疑問を持てなかったのも、隣組に入らなかったのも、
なまじお金があるために、働いて稼ごうという気にならなかったのだと思います。
そういう発想自体出てこなかったのでしょう。
生きていくために何がどれくらい必要か、何をしなければならないか、という感覚がまだついていなかったのです。
世間知らずだっただけで、清太は決してクズ、無能ではありません。
あれが欲しいそれが欲しいと泣いても、一度も節子に当たりませんでした。
ただ無知ゆえに起こった悲劇です。
強いて言えば、実は、悪いのは母親ではないかと思います(父親は軍人で育児までできないでしょう)。
配給をもらわないことにした時点で詰んでいます。
外で寝泊まりするのも衛生面が悪く、気温変化も防げず病気になります。
そういうことをちゃんと教えていなかったのか、という感想を持ちました。
まとめ
戦争映画というと、地雷で足が吹っ飛ぶとか、それこそお母さんの全身火傷を全面的に押し出すような、わかりやすいショッキングさを扱うものをやりがちだと思います。
そうしないで、普通に生き延びている人々の横で、ボタンを掛け違えて死んでいく子供を描くのが、戦争を経験したことない人間にも想像させやすい丁度よい塩梅だと感じました。
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