「メタメッセージのタイプと効果について」
はじめに
講義の中でメタメッセージについて学んだ。メッセージ/メタメッセージの両者が食い違っている場合創造性や病理が生まれるという点で、それでは生まれるものは何によって決まるのだろうかという疑問を持った。今回はこのテーマについて、日常生活で目にするコミュニケーションを元に考察する。
メッセージ/メタメッセージとその効果の形態
「そのうち遊びに行きましょう」「機会があれば飲みに行きましょう」などの社交辞令には、時間、場所ともに具体性がなく、実際に予定を立てる意図はない。話者は深く考えずに口にしており、受け手も「そうですね」などと軽く答える。メッセージは勧誘である一方、内容の曖昧さによって「このメッセージは本気ではありません」というメタメッセージが同時に伝えられる。社交辞令は矛盾を含むが、そこにあるのは礼儀と配慮であり、コミュニケーションの潤滑油となっている。メタメッセージを理解すれば、相手が自分とのコミュニケーションに前向きであることがわかる。
茶道のある流派において、茶碗を回収する際に「もう一杯いかがですか」と形式的に尋ねることがある。聞かれた方は結構です、と答えるのが作法として決まっている。メッセージだけを見ると茶をすすめているが、メタメッセージは「結構ですと答えてください」であり、断ることを前提にしている。社交辞令に似ているが、コミュニケーションを潤滑にする目的ではなく、もてなす者ともてなされる者が互いに配慮しあっている様を作法として保存するものである。
これらのコミュニケーションが滞りなく行われることは、メッセージ/メタメッセージの二重構造への認識が話者間に共有されていることが前提となっている。メタメッセージを理解しなかった場合、たとえば社交辞令を真に受けて「ではいつどこに行きますか」と返すと相手は困惑する。そこにあるのは矛盾だけであり、受け手はどのような行動をとればいいか分からなくなる。
世辞は相手に気に入られるために、本気でない褒め言葉を送る行為である。状況などにより「これは世辞である」というメタメッセージが伝えられる。受け手がメタメッセージを正しく受け取った場合、世辞でも嬉しいと感じるか不愉快になるかは分かれるが、どちらにせよ、メッセージのみを受け取り褒められているのだと解釈した場合のほうが、発言者にとってはより効果的といえる。つまり発言者はメタメッセージが伝わらないことを意識している。
この種のコミュニケーションにおいては、メタメッセージが伝わった場合に不都合が生まれる点で、メタメッセージが伝わらなかった場合に齟齬が生じる上記の例とは対象的である。
不条理な規則に縛られてどうしようもない状態を表す英語の表現に「catch-22」があるが、これはJoseph Hellerによる同名の小説が元になっている。第二次世界大戦において、小説の主人公は危険な戦闘任務を避けるため、軍規第22項「狂気に陥った者は申し出れば除隊する」を利用しようとする。しかし狂気に陥った者は自分でそのことに気付けないのだから、申し出た時点で主人公は狂っていないとして却下される。軍規第22項は実質的に存在していないのである。メッセージは除隊を許可しているが、メタメッセージとして規則が無意味であることが分かる。
この場合、矛盾を作り出している側は除隊させないことが目的であり、受け手がメタメッセージに気付くか否かは問題としていない。そして受け手が二重構造を理解したとしても、メッセージ/メタメッセージの板挟みから抜け出し除隊する方法はない。この種のコミュニケーションからポジティヴな効果が生まれる余地はないといえる。
おわりに
二重構造を持つコミュニケーションには、受け手がメタメッセージについて発言者が意図した通り受け取る/受け取らないいずれかの反応をすればうまく行くコミュニケーションと、受け手の解釈と無関係に必ずジレンマを生むコミュニケーションがあることがわかった。そしてメッセージ/メタメッセージから発生するものが前向きなものであるか後ろ向きなものであるかは、受け手がメタメッセージを認識するかどうかに関わる場合と、メッセージ/メタメッセージの構造自体に原因がある場合があった。今回考察した内容は多様な形をとるコミュニケーションのほんの一部に過ぎず、より多くのパターンを検討していくことを今後の課題としたい。