なぜ毒虫になった? カフカ「変身」感想。鬱病サラリーマンとその家族

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ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。

起きたらいきなり毒虫になっているという超展開で有名(?)なフランツ・カフカ「変身」。
今更読んだので、自分なりの解釈で感想を書いていきます。

ちなみに、原田義人訳です。青空文庫にありますよ。

虫になってるのに仕事の愚痴を考え出す主人公

この小説は、序盤は非常に滑稽です。
朝起きたらなんとキモい虫になっている。
どう考えても意味不明な一大事なのに、虫になったことより遅刻する~仕事行きたくない~と言っている主人公(出張の多いセールスマンです)はさながらギャグ漫画です。
しかも愚痴の内容が妙に生々しいというか正直で笑えるのです。出張がだるい、食事も不規則になる、乗り換えめんどい、上辺だけの人付き合い、遅刻厳禁早起きつらい、でも解雇されるわけにはいかない。病気でも仕事には行かなくてはいけない。
涙が出そうですね。

しかしギャグ漫画ではありません。

ザムザは仕事の愚痴を頭の中で言いまくるかたわら、ベッドから降りようとしているのですが、これが全くうまくいかないのです。
虫の体が不自由で動かせないのです。

何かピンときませんか?

毒虫は鬱病の比喩

虫になるという大事件を放置して(ザムザはベッドから降りようとはしますが、なぜ虫になったかとか、戻るにはどうすればいいかを考えることは一切ありません)仕事のことばかりを考えている姿は、自分の体や心の異変を無視して死ぬまで働いてしまう人々に重なります。

また、ザムザはベッドから出ようとして失敗し続けますが、彼は足を動かすことにすら酷く苦労します。これは物語の中では虫の体になったからですが、「体が動かない」「ベッドから出られない」というのはまさに鬱の症状です。

毒虫になるのは鬱病にかかるということだと私には思えました。

なぜ毒虫になったのか

では、なぜ毒虫=鬱病になったのでしょうか。

先程書いたように、主人公はストレスレベルの高い営業という仕事についています。

これに加えて、読み進めていくとわかりますが、家族が無職なのです。
グレーゴルは長男で、両親と妹と同居していますが、この4人家族で働いているのはグレーゴルだけなのです。
親が資産家というわけではありません。むしろ、父親の店が5年前に破産したせいで借金があるくらいです。
こんな状況でこの家族は下女まで雇っています。意味が分かりません。

家計も謎ですが、人間関係もなかなか歪です。
この父親、店潰して借金で息子に苦労させておきながら、めちゃくちゃ偉そうです。
一方主人公は家族3人養っている上に妹を音楽学校に行かせようと計画しておりあまりに健気です。
主人公が血を吐いて仕事している間、家族は家でゆ~っくり食事をとり、新聞朗読会をやっています。下女がいるので当然家事もしません。完全に余暇時間です。
書いていて腹立たしいですが、ザムザ家はそういう家庭です。

なぜ毒虫、鬱病になったかというと、家族4人を養って下女まで雇うレベルの激務をたった一人でやっていたからです。
主人公は家族を養うから解雇されるわけにはいかないと言っています。
仕事をやめられないと思うと追い詰められます。
毒虫は重い荷物を背負わされて逃げ道がなかった成れの果てなのです。

代理ミュンヒハウゼンの妹とずれる認知

毒虫になった主人公の世話は妹がするのですが、明らかに汚物に触るように扱われます。
主人公は妹の思いやりに報いなければとかいうことを考えています。
このような描写は何度か出てきます。

私はここにも歪さを感じました。
確かに、キモい虫の世話をしてくれるのはありがたいかもしれませんが、姿も見たくないような態度を実の家族にとられて心中でも一切文句が浮かばないのは果たして健全といえるでしょうか。

しかもこの妹、普通ではありません。
主人公の世話をすることに熱中している、世話が増えることを望んでいる、というような記述が出てきます。不謹慎ですよね。もっと世話をしたいというのはつまりもっと深刻な病気にかかればいいと思っているのです。このどこに思いやりがあるのでしょうか。
また、妹の掃除は手抜きなのですが(居間の掃除は完璧なので、意図的にサボっています)、母親がやると怒ります。雑なくせに、自分でやろうとするのです。

私はこの妹を見て代理ミュンヒハウゼン症候群を思い出しました。
ミュンヒハウゼンとは、要するにかまってちゃんです。本当は健康なのに病気だと偽って周囲の関心を引く(疾病利得を得る)という精神疾患です。
代理ミュンヒハウゼンは、病気と偽るのが自身ではなく家族などである場合をいいます。
母親が頑張っている自分を演出するために子供を利用するケースがあります。

妹は主人公がよくなることを望んではいません。むしろひどくなってほしいのです。
それは主人公の世話をする自分に酔っているからです。

余談:少し先回りしてしまいますが、最後、主人公は家族に捨てられて死にます。
兄を捨てることを進言するのは妹です。
部屋の掃除から処分まで、全てを支配することに快楽を感じていたのでしょうか。

働き始めた家族、そしてハッピーエンド

ここまでは毒虫になったことについて書いてきました。
次は、毒虫になった後のことを書きます。

稼ぎ頭である長男が仕事に行けない状況になり、家族は働き始めます。
父親と妹は外に、母親は内職です。

働きに出る他に、家の一部を貸して家賃収入も得るようにするのですが、
ここで一悶着あって、主人公が借家人に姿を見せてしまい、彼らはこんなキモい虫がいると聞いていなかったと言い出して出ていきます。
怒った家族は毒虫を見捨てて引っ越します。新しい門出に晴れ晴れした気持ちを抱いてエンドです。

他の家族はハッピーエンドとして書かれていますが、主人公は死にます。
これが変身の結末です。

何が「毒」なのか

さて、ここまで兄の不遇を語ってきましたが、少し方向を変えて、毒虫の「毒」について考えます。

毒虫は、もとのドイツ語では「Ungeziefer」であり、有害な小動物をさします。
主人公は毒虫になりますが、別に人を刺して中毒症状を起こさせたりといったことはありませんでした。生物的な毒の描写がほぼないのです。
では、主人公がもたらす「害」とはなんでしょうか?

先程妹の項で言及したように、主人公は少し人が良すぎるというか、文句を言いません。
そもそも、他の家族が無職だったことについてですが、
父親は老齢で太ったから無理、母親は喘息だから無理、妹はお嬢様だから無理という説明が出てきます。
これで、長男が全部の苦労を一人で引き受ける理由になるでしょうか?
それを言うなら兄もハードワークなので無理です。
いよいよ食っていけないとなって、やっと家族も働き出しますが、グレーゴルのやっていた営業に比べると出張などもないようで、ストレスの少ない仕事についています。
なぜそれを今までやらずに遊んで暮らし、長男にばかり苦労をかけたのでしょうか?
虫になったのは、はっきり言いましょう、家族のせいです。

長男が仕事行きたくないと言う日があったとしても、いたわりもせずに(毒虫になった日のことです)
今まで長男が一生懸命働いていたからこそ、家でぐうたらでき、貯金もできていたくらいなのに、
働けなくなったら全く顧みず、ゴミのように打ち捨ててしまいました。

こんなひどい家族ですが、
長男本人は家族の幸せを思い勝手に満たされています。
埋め合わせを求められて当然のところなのに、それすら放棄する形になっているのです。
どこまで長男に甘えれば気がすむのかというところです。

ですがここで「害」が見えてきます。

長男が甘やかしているのです。

長男が働けなくなってからは、他の家族は社会に出、生き生きしています。働くことに後ろ向きな様子はありません。一人きりで家族を養うと地獄を見ますが、みんなで働けばまともな暮らしができるというわけですね。
今までは働かなくてよかったから、つい無職でいてしまったのです。主人公が不平を言わないから、感謝しないどころかちゃんと働けと言うのみだったのです。
金持ちが放蕩息子を育ててしまうのと同じような構図がここにはあります。

そんな主人公の甘い毒が、主人公のストレスが決壊することで顕になったのが、冒頭毒虫に変身してしまった出来事だったのではないかと私は考えています。

なお、物理的な「毒」の描写もあるにはあります。妹が窓を急いで開けるあたり、体からガス的なものが出ているようです。
毒虫になっても、自分の誤りに気付かないところも含め、一生毒虫だったのかもしれません。

鬱病を家族が潰す話

毒について、間違った優しさが毒だという解釈こそしましたが、
しかし私は納得しません。
自分で気づかない家族の方が、毒だと言いたいです。

一人に家族分の仕事を押し付けて鬱病にならしめた家族が、とうとう引導を渡した上に、今までの苦労を長男のせいにして幸せになる話でしょう。

最初の方は面白いですが、途中からはただいらいらするだけです。
もちろん出来が悪いといかそういう意味ではなく(むしろ見事です)、話の展開が腹立たしいのです。

感想は怒り、悲しみです。長男がかわいそうです。
これだけの感情を抱かせる「変身」は間違いなく名作だといえます。

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