ファインディング・ドリー感想 気楽に生きること、人に助けてもらうこと・タイトルの意味(ネタバレ注意)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0

金曜ロードショーでディズニー・ピクサー映画「ファインディング・ドリー」を視聴したので、その感想/考察を書いていきます。

なお、私はいつも展開の意味やメッセージ性を考えながら見る主義なので、このスタイルが合わない人にはつまらない記事かもしれません。

記憶や障害の話ではない?

ファインディング・ドリーは、短期記憶障害のドリーが主人公ということで、てっきり記憶を取り戻していく話・記憶についての話かと思って見ましたが、
この見方ではしっくり来ませんでした。

また障害がテーマだという意見が多数派ですが、
個人的にはそれもほんの少しズレているような気がしました。
まず、前作主人公ニモは、身体障害者と見なすこともできなくはありませんが、それにしてはそれで困っている描写が少なかったように思います。歯医者の水槽でポンプに入ってしまい、ヒレが小さいから…と言及されていましたが、それよりは「魚」ゆえの困難が描かれていたというのが私の印象です。
今作でも、ハンク(タコ)の足が一本ありませんが、あれはタコならよくあることで、障害と言うのは違和感があります。ムラサキダコなんかは膜を切って逃げます。トカゲの尻尾切りと同じです。実際、もう海に戻される予定になっていましたよね(つまり治療は必要ない)。
決定的なのはベイリー(シロイルカ)です。ベイリーはエコーロケーションができないシロイルカでしたが、少し練習してできるようになっています。
障害がテーマかというと扱いが軽いような気がするのです。
また障害をテーマとすると海洋研究所の役割もはっきりしません。他のナンヨウハギ達やくしゃみをしていた魚は、ドリー達に巻き込まれて脱走しますよね。助けて治して海へ返すのが施設の仕事のようですが、海へ返せない生物(クリーヴランド行き)がいます。それらが、自分から脱走しようとしたわけではなく成り行きで脱走し、そしてその場面に例のアナウンスを被せる意図が私には思いつきません。

そこでもう一度展開を思い出しながら考えたところ、私がこの映画から読み取ったテーマは大きく分けて二つ、
気楽に生きること・人に助けてもらうこと でした。
以下では、それぞれについて詳しく書いていきます。

気楽に生きること

私が読み取った1つ目のメッセージは「もっと肩の力を抜いて生きろ」ということです。

まずドリーの両親は研究所の側の海にいたのであり、別に研究所に入らなくてもそのへんをうろうろしてれば貝殻(家の手がかり)が見つかったわけです。
また、印象的なシーンとして、ベビーカーで移動中に世界一のメガネの看板を見て、見覚えがあるためその方向に行く場面があり、あのシーンではオープンオーシャン(目的地)と逆方向だという演出がありましたが、行ってみたらオープンオーシャンはすぐ横にあったので、別に問題はなかったのです。

この二つの展開はどういう意味でしょうか。
私は、ドリーが通ったやり方は合理的な正解からはズレており、やや遠回りで正攻法ではないが、なんとかなった。というものを感じました。

最初は、無謀さ荒唐無稽さを肯定的に描いてるような感じはあるもののご都合主義と思えてしまい腑に落ちない顔をしていました。
ですがご都合主義ではなく、もともとそれほど困難なタスクではなかったのです。
カリフォルニアのモロベイの宝石が出身、貝殻が帰り道だった、という二つのことさえ思い出せば家には帰れたのです。

また途中、両親がすでに死んでいるという大勘違いを聞かされる場面があります。
あれは設定的によくわかりません(隔離所はクリーブランド行きに繋がるもので、戻らないから死んだというのは短絡)。これはつまりしょうもない勘違いでしかないのかなと思います。
勘違いで絶望しかけることもあるがそれも大したことはない、ということです。

私はわりとマーリンに近い性格で、石橋を叩きまくり解決策を探すときは現状把握から入り選択肢を検討し、というプロセスでやります。保守的で変化や刺激を嫌います。
そういう人間に、もっと気楽に行けよと言っているのかもしれません。

人に助けてもらうこと

2つ目のメッセージは助けてもらうことです。

ドリーは常に、「誰か助けて」と呼びかけていました。
そして、ファインディングニモでマーリンに会うまでは一人でいました。

これは本人たちが台詞として言っていることですが、マーリンもドリーも一人ではやれませんでした。
人の力も借りてみろということです。
ニモがベッキーを信じようといってたのもこの辺の話だろうと思います。

シロイルカが弱視のジンベエザメの目になる、臆病すぎるマーリンと無謀すぎるドリーでちょうどいい、ということです。

また自分語りになってしまいますが、私は人に期待せず、何か困ったら自分で解決しようとするタイプなので、この映画はかなり自分に刺さっているかもしれません。

そして、このふたつをメインテーマとして解釈するとクリーブランドや施設の物語的役割はなくても問題ないかもしれません。

「ファインディング」の意味

次に、タイトルの意味について、軽くですが思ったことを書きます。

前提として、
ファインディング・ニモ
ファインディング・ドリー
は、元のタイトルではそれぞれ
Finding Nemo
Finding Dory
で、原題と同じです。

「ニモ」は、マーリンがはぐれたニモを、またニモがマーリンを探す話です。
「ドリー」は、ドリーがはぐれた両親を、また両親がドリーを探す話です。

しかしただの親探しには終始しないもう一つの意味があると私は感じました。

親子の再会の他に、登場人物が見つけたものがあります。
それは「ニモ」ではニモの可能性であり、「ドリー」ではドリーの可能性です。
過保護なマーリンは、ニモやドリーのポテンシャルを否定し、できないからやめろと言い続けていました。
その誤解を解いていくストーリーでもあったわけです。

私は、 Finding Nemoも、Finding Doryも、主語はマーリンだったと考えています。

その他エンタメ的に気になったこと

・ドリーの忘れっぽい描写はリアルだと思いました。
親戚に認知症の人がいますが、さっきまで話していたことをもう一度話し出す性質や、エピソード記憶が持たないのは、まさにそれです。

・デスティニー(ジンベエザメ)がとっっても可愛いです。
エイ先生も可愛いです。この二人は現実の生き物に近い見た目なので、生き物好きは萌えるはずです。

・八代亜紀がいちいち名乗るのがシュールです。
・エコーロケーションの演出が秀逸でした。

・海洋研究所で、ナンヨウハギは全員隔離所からクリーヴランド行きになっていますが、なぜナンヨウハギだけそんな扱いなのでしょうか。少し調べましたが、ナンヨウハギは鱗がなく白点病になりやすいそうです。そのせいかもしれません。

ファインディング・ドリーの感想は以上です。
個人的には少し冗長に感じた部分もありましたが、見てよかったと思える映画でした。

関連コンテンツ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加