生物が好きだからこそ一部の環境保護活動家のうさんくさい台詞にモヤモヤする

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環境保護。実に教科書的です。
それだけなら全然いいのですが、中には環境保護を宗教のようにしている人がいますよね。
同じ生物だから共存するべきだ、とか。
私は生物の巧妙さとそれを生み出した自然選択の仕組み、利己的遺伝子に感嘆し、愛しているからこそそういう思想に不快な感情を抱きます。
その理由を書きます。

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地球は生物みんなのもの?

地球は生物みんなのもの。本当にそう思っていますか?
たとえば病原体を運ぶ虫のありのままのあり方が好きな人はその虫が減らされるのが嫌でしょうが、害虫を守ろうなんて言う人はいません。
寄生虫はたくさん絶滅の危機に瀕しているのに、誰も見向きしないどころか多くが名前すら付いていません。
見出しのようなうさんくさい台詞を吐く人もワクチンを打ち、抗生物質をのみます。
地球はみんなのものとか言うなら害虫も寄生虫も守るべきでしょう!
そして病原体があなたの体に住む権利を認めましょう!

生物と無生物の違い

というか生物ってなんなんでしょうか。
生物に権利を認めるならなぜ無生物には認めないのでしょうか。
森林を破壊するのは悪で鉱物を掘り出すことは問題ないのですか。
生物と無生物の本質的な違い(細胞膜とかではなく)がちゃんと説明できますか。
鉱物は、原子が物理法則に従って動き、できました。
生物も同じです。
原子が物理法則に従って結合しDNAという自己複製子ができ、自然選択に従って個々の種へと結実していきました。
勝手にできたのです。
そこに何の違いがありますか。
神が作ったのだ、とでも言わない限り、生物を持ち上げ無生物を落とす正当性はありません。

結局生態系サービス

それっぽい言葉で飾りつつ生態系サービスを手放したくないだけなんですよ。
違う、と言う人、無意識です。
生態系サービスは美も含みます。
かわいいと、愛しいと、だから守りたいというのも生態系サービスなのです。
そもそも生物側は共存したいなんて思っちゃいません。そんなのは妄想です。投影です。
あなたたちが、自分に都合のいい生物への愛と便利さの狭間で勝手に揺れているだけです。独りよがりです。

結局正しいものはなく、人権も環境もあらゆる美徳は洗脳なわけで、
そういうとき扇動する力を持たない少数派は無力感でぴりぴりするしかないのですが。
内部で矛盾している美徳はもってのほかだと思うのです。
一見立派な言葉で自分が気持よくなっているだけです。反吐が出ます。

利益のために環境を守るのはもちろんいいですが、妙な理由付けをするのだけはやめてくれたら嬉しいなと思っています。意味もないですし。

ちなみになぜそんなに不快がるのかというと、生物を変な目で見たり誤解する行為を冒涜だと感じるからです。愛しているものを冒涜されたらいやです。

追記:世代間倫理は別です。
こちらは生物どうこうという話ではなく、あくまで人と人との関係、人を不幸にしてはかわいそうだという道徳の範囲に収まっていますから。

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