【閲覧注意??】懐疑論と虚無感と死の恐怖についての日記

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常体&未整理なのでとても読みにくい。。。

タナトフォビアってそれなりにあると思うので
誰かの役に立てたらいいな、と思ってアップします
2年ぐらいこの問題を断続的に考えていてその抜粋です
こういう内容って人に相談できないので一人でうだうだ考えていました
その人まで怖がらせたらほんとにかわいそうですからね
ある意味閲覧注意かもです

追記:一応解決編があります。→ 【閲覧注意??】タナトフォビア克服したっぽい

◆死を虚しいと思わないという話
上級現代文(参考書)伊藤桂一「日帰りの旅」
解説の「山村家が盛んだった頃の姿は、もはや要介や久江の記憶の中にしかない。そして老境にある二人が死を迎えた後は、それすらも完全に消滅を迎える。そうした事実は、むなしくさびしいものとして捉えられることが一般的なのかもしれないが、過去にとらわれ続けて生きてきた要介は、そこに救済を見出したのだろう。」
これはかなりいい文章だ
自分が悩んできた(最近は忘れてたが)問題の一つに死の虚しさがあったんだ
死んだらもう終わり。今までやってきた何もかもが無駄になる。虚しい。っていう後ろ向きな思考
これをなんとかしないと心から人生を楽しめない
まさに、この悩みが肥大して精神変だったのが去年のちょうど今頃
あれはなんとなく治ったけど、根本的な原因はそのままだったんだよ
といっても対策を講じなかったわけではなく、
①子供や作品を残して自分を残そうとする
②そんなことは忘れる
このふたつをやろうとしたんだ
でもやっぱり、①は人類いなくなったら終わりだし、②も無理がある
そんな、未解決の問題
これを解決してくれるのがさっき引用した文章だ
そもそも、忘れられたり無駄になったりするのを、虚しいと思わなければいいんだ
今の楽しいことは、いつか死んだらもうできなくなる
それがどうしたんだって思えばいいんだよ

◆かぐや姫の物語と臨死体験とカタルシスの話
かぐや姫の物語を見たら虚無感がなくなった
映画への没入を通して臨死体験をするというカタルシスを経験したからだろうか
それと主題歌の効果もあるな
死ぬけどまた会えるから大丈夫っていう根拠のない歌詞になぜか救われた

◆懐疑論と虚無感と気分次第と宗教の話
何もやる気がでない
将来に展望が見えない
これからどうしたいのか
自分が何を求めるのか
この虚無感はきっと懐疑主義のせい
いつだったか、少し前に価値観は完全に対等だということを本当の意味で理解した
あれは、絶望だった
今まで自分が正しいと信じていたものが崩れた
すべて好みでしかない
なら好みに生きればいい、と、
それができるほど器用じゃない
が、同時にこの虚無は一過性のものだとも思える要素がある
昨日はこんな精神状態じゃなかった
3時まで起きてたのがまずかったかもしれないし引きこもってたのがよくなかったかもしれない
更に環境の変化のストレスを引きずっているのもある
ごくごく軽い鬱気味なのかもしれない
こう考えていると宗教がいかに効果的かが分かる
好みに従って生きることのできない人にとって無条件で正しいと肯定できるものがあるのはこの上なく心強い
ドーキンスは、自然法則だけで満足できる人なのかもしれない

◆自我の話
不変の自我はどこにも存在しない、一瞬一瞬形成されては消える
これは考えると怖いから普通無視することだけど
理解しちゃったのが玲音なんだね(serial experiments lain)
それにしてもlainはあんまり実存主義関係ないよね
実存主義を少し忘れたからさっき辞書ひいたんだけどさ
lainは自我なんてまやかしだと、肉体なんてくそだと、そういう話で
むしろ実存主義否定してるよね

◆なんとなく楽しくないと主観的幸せの話
一昨年の11月と違って今は死ぬのが怖いということはないけどなんとなく楽しくないというのは同じかもしれない
まあこんなことでうだうだできる自分も幸せだよなあ
いやまあ幸せかどうかはそいつしか決められないからそいつが不幸といえば不幸なんだけどね
さっきのは自分を励ますために言っただけだ
だから鬱の人をディスってるわけじゃない
絶対に
なったことないからわからないけど本当につらいだろうと思うし

◆死の恐怖から目をそらす方法
タナトフォビアは一般人とか世間の様子見たら治るかも
この人たち、死ぬときのことなんて考えてない
そのまま死んでいくんだな
だから俺も大丈夫だろ
って思えるし
世間の、遊びや仕事に忙しいって雰囲気にのまれることができる
現実に引き戻してくれる

◆タナトフォビアを考えで駆逐するの話
①どうせ死ぬんだからいまやってることは無駄←カイバを見ろ!(記憶=命のようなものとして)
②意識が消えるのが怖い←生まれる前に戻るだけ、寝てるのと同じ、死後の世界を信じる
③二人称の死が辛い寂しい←霊を信じる、思い出にひたれるまで待つ

◆自分の死後の世界の話
死ぬのが怖いのはずっと考えてることだけど
いまテレビで墓の話してて
死んだあとの自分の墓や葬式のこと考えるのもいいかもな、と思った
理由はわからないけど、自分が誰かに影響を与えているのが嬉しいんじゃないか

◆自由意志と他我問題の話
神様(スピノザ的な)(スピノザ読んでいない)(さっきWikipedia見てきたら倫理も含むようで自分が言いたいニュアンスとは違うかも…)はひどいよね
人間を作っておいて最後には殺すんだから
死ぬか死なないか、死ぬならいつ死ぬか 自分で決められたらよかったのに
結局のところ人間にも自由意志がないのかもしれないと
私は人間以外の生物は世界を認識していないロボットと同じだと思っていましたが
人間だって今自分が本当にこの世界に存在しているのか判じることができない
世界は5分前に作られてさも昔からあったかのようなすべての証拠と共に生まれたのかも
ロボットが世界を認識していないなら人間もしていないのではないのか??
ロボットと人間のちがいは?
ロボットが受け取った刺激に決まった答えを返すものだとすると
人間の脳も眼や耳から入った情報を見ていろいろ回路を使って答えもどきを出している
その答えが欠陥なことが違いなのか?
弾き出す答えが欠陥だから、世界を認識している、とはどうもならない
じゃあ他のところにちがいが(あるならば)あるので
それはどこ?
うううううん 他者か…?
ロボットは他のロボットが自分と同じように人格?意思?思考?を持っていると認識しない?
てか自分で言っておいて何だが世界を認識するの意味がわからない
なんとなくフィーリングで言ってしまったが これは自分が自分であって存在して世界に関わっているという意識?
いやそれだけならネズミも自分がこうしたらこうなるみたいな学習をしてるような?
もっとこうメタな視点を言いたい


死んで消えてなくなって冷たい暗い無になってしまうのは自分だけではなくて、今まで何億人もの人がみんな死んできたんだと思うと少し楽かも

◆死の実感と知識としての死の話
昔は自分がいつか死ぬなんて思ってなかったから刹那主義だった
死ぬことを知識で知っていてかつ実感がなかったからこそそうだった
今は実感も持ったから無為を嫌うようになった

◆葬式の話
葬式ってあんまり興味なかったけどやったほうが気分的に区切りがついていいかもね
しなかったらいつまでも死んだの認めない気がする(自分は)
みんなが、必要だと思っていたから今までずっとあるんだもんね

◆霊を信じる話
いつか死ぬのは怖い 500年ぐらい、生きられたらいいのに
もう降参して守護霊いるいると自分に言い聞かせています
永遠怖くね?ってなるけど、きっと霊になったら永遠が怖いって感情もなくなって幸せだと都合の良すぎる妄想
大丈夫死後の世界はある!と死ぬ瞬間まで妄想し通すことができれば死んだ後は怖さも不安もないから大丈夫だ(矛盾)

◆人生経験と悲しみの話
昔は母がいつか死ぬって聞いただけで認められなくて泣いてたのに
今は一応落ち着いて聞けるし、葬式遺品整理をすれば思い出にできないこともないかもしれない、と思い始めてる
それで、こうやって人は人生が進むにつれていろんな悲しみを耐えられるようになっていくのかなと
親しい人の死や老いや、自分の死
母が死ぬのあんまり怖がってなさそうなのもある
でもさっき母が、祖父が死ぬの怖いのもわかるって言ってて
やっぱりそんなことないのかなとか
あーあ、人間って儚すぎるよね
存在が無意味なほどに

◆大事な人
自分が大学にいっている4年間で親は4歳年をとると考えると怖い
若いうちじゃないとできないことってあるから
結局自分が人生で何をしたいかというと大事な人と暮らす時間を少しでも増やしたいそれだけなんだよな
趣味をするのは楽しいけど、死の恐怖や不安を和らげてくれる充足感は得られない
死の恐怖はずっと考えてきた問題だけど、これは解決する方法は二つあって
一つは思想、もう一つは精神状態を改善すること
前者は自分にはなかなか難しいから後者をとらないといけない
だからみんなに先に死なれたら置いていかれたら自分は一体どうなるのかっていう問題に変わる
この問題は最近心情が変わって思い出に生きられるかも、って気になってる
昔家族と一緒に暮らしてたにも関わらず虚無感?みたいなものに襲われていたのは何だったんだろう
まああれは思春期だったからっぽいような、、一過性のもの?
いやでも、そうじゃないかも、自分がなくなる恐怖を意識したのがあれからだから、つまり、認識して落ち着くまでの最初の段階か
そうだな
自分がなくなる恐怖を現実のものとして認識して
一旦そのことに絶望するけど
だんだん立ち直っていくんだろう、
根拠はないけど
きっとそうやって幸せに死ねるようになる!!!!(プラス思考)

◆生は気持ち悪いと自我と記憶の話
少女革命ウテナ台詞bot ?@utena_words 2010年8月31日
生きてるのって、なんか気持ち悪いよね。どうせ死んじゃうのに、なんでみんな生きてるんだろう。なんで今日までそのことに気づかなかったんだろう。永遠のものなんて、あるわけないのにね。
そwれwなwwww>RT
別に自分はよくあるメンヘラのように自分を無価値だとか人間は汚いとか思ってるわけではない、そんな価値判断に意味を見つけられない
そうじゃなくて自我の存在そのものが気持ち悪い
人間ってどうにもこうにも自分で自分をコントロールできない、何したって死ぬ、そんな存在がなんであるのっていう疑問
前も言ったんだが人間は忘れるんだ
今ここにあってパソコンのキーを叩いている自分は今の自分でしかなくて過去の自分はすでに死んでいるそれがきもい
自我が一瞬一瞬、連続せずに存在している違和感
自我が過去のものになってただの記憶に成り下がるのが気持ち悪い
自我は自我じゃないの なんで自我じゃなくなるの
まあこんなメンヘラなことを感じるのは夜更かししたり変なものをくったりするせいだろう
寝れば元通り

◆物語と懐疑論と運命愛と不条理の話
大きな物語を持ってる人はきらい
小さな物語を持ってる人はその人の物語が自分の好みにあっていればすき
この物語ってちゃんとした用語だからな!!!リオタールの!!アーロン的なかっこつけでは断じてない!!
ただな個人的な話だが大きな物語は押し付けるから嫌、というか理不尽な感じがするわけであって
小さな物語をお願いしたり、思想的には押し付けないが行動的には押し付ける、という状況は嫌いではない
思想の自由を重視しているんですね
けっきょくのところ妄想にとらわれていない人にとって懐疑論はまさに真実そのものなんだよなでもそこからの次の段階が大事なのであって
懐疑論が事実だとしても小さな物語を持つのは、無意味ではないと思う プラグマティズム的に
そのところニーチェさんの運命愛はとても有用な感じがします
自分も自分の大事な人もいつか絶対に100%死ぬし地球も終わってしまう でもそれでいいと
わりと死の虚無って大きな物語を盲信できればなんとかなるような気がする(これは適当)
自分一人だけの、体験談だからほんと意味ないけどね・・こんなこと言っても
たぶん自分は就職したらしたで今度はリストラ、結婚子育て、老後、介護やらを心配するようになるんだろうな、、今も心配してなくはないけど
でもみんなそんなものだよね
不条理だけど今ここにいてしまってるんだからしかたないよね
いやなら吊ればいい
運命愛を逃げとよべるだろうか
逃げは、無視する、目をそらすって意味じゃないのかなあー
運命愛は受け入れだよね 不条理を自分の中に取り込んで愛すること
だから逃げじゃない もっと前向きなものだ
まあ絶対死ぬ運命なんてあまりに不条理だし自我が実在するかもはっきりと言えない世界は腹がたっても虚しくなっても仕方ない
その虚しさで吊る人もいるだろう、、 それこそ不条理の極みだ
自分そんな結末はつらすきて耐えられないからセロトニンを増やす
どうせヒトも脳内麻薬には逆らえないんだ、、
まあ生きる目標と言われると脳内麻薬を出すことだよね
それ以外何かあると言ったら狂人だろ
幸せになるために生きてるんだろう
人のために何かをしたいとかなしとげたいことがあるとかも結局は自分の幸せに収束する
人間はみんなひとりぼっちだよ

レクタングル中
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