やめられないネサフ、必ずしも無駄ではないし後悔する必要もない

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ネットサーフィンをしているとあっというまに時間がすぎてしまいます。
やめたいけどやめられないと自分を責めている人も多いと思います。
あれはなんだか無為な気分になるのですが、でも、本当に悪いことなんでしょうか。
欲望に従ってはいけないのでしょうか。
「無為な気分」は主観ですが、主観は主観なりに理由があるはずです。
それを考えると、どうも自分の主観には社会一般に認められたいという欲求が無きにしも非ずなようです。
自分自身の趣味嗜好は社会一般とはかけ離れているというのに。
ネットサーフィンを無駄と感じてしまうのはこの「世間への引け目」や「うだつ」、「罪悪感」の意識が自分の中にあるからです。
それでも、やはり私の頭は世間の価値観などどうでもいいと言っています。心だって本当はそう思っています。心の一部が上から塗り込まれた常識を引きずって反抗しているのです。
従ってこのような「罪悪感」は何の意味(自分を幸せにするという意)もありません。百害あって一利なしです。自分で自分を不幸にするだけです。
とはいえ、罪悪感を完全に消すのは至難の技ですので、少しずつ自分を許せるように練習していこうと思います。
なんとなしの感覚ではない「無駄」を考えるにはまず人生を何に使いたいかを明らかにしなければなりません。
そこが私にはわかりません。
人間には使命など存在しないので欲しければ自分の妄想で作り上げるしかないのですが、
もう、そんな想像力がないのです。
私も昔はみんなが幸せでなくてはならない。人を不幸にさせる行為はいけない。と思っていましたが、
それが根拠ない主観・感情に過ぎないことに気付いてから、急激に冷めてしまいました。
今は悲しみが発生しないようにと、なんとなくやりたいことをやっていますが、
なんだかなーといった感じです。
ガーンと心を動かすものを見つけたらましな方向に向かうんだろうと思います。
人生は気分次第でしょう。
とりあえず、以上からネットサーフィンが無駄かどうか今の段階で出すならば、
何も考えずにネサフするのは疲れを癒すにはいいが疲れていないときはやらないほうがいい
調べ物目的でするときは情報を全部見ようとしないで目的にあうものだけを見る
とこんなものでしょうか。
自分がスイッチ入っているか入っていないかで意味合いが違ってくるかなと思います。
少しすっきりしました。
思い出したのですが、私の今の目的はいろんなことをすることだった気がします。
もっと強い目的を見つけるために。
疲れていない時のネサフですが、
自分を見失ってなし崩し的に行動すると気分が勝手に後悔する(本当はその必要はないかもしれない)のでよくないです。
これがしたいからするんだと、常に思っていたいです。
自分語りしてしまいました。
同じようなことに気を揉んだことがある方がいらっしゃって、少しでもお役に立てたら、うれしいです。

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